数年前から急速にインターネットの環境が整い、家に居ながらも膨大な情報量を得ることが出来る様になった。インターネットがなければ、私の様な素人がワールドクラス(あくまでも主観です)のラブラドール・レトリバーを迎えることは不可能だったと思う。
yahoo.comのブリーダー・サイトには150近いラブラドール・レトリバーのブリーダーが列んでいて、全犬種のなかでも一番多い。最初はアメリカのサイトを眺めていたが、私の好みは”フィールド・タイプ”と呼ばれる痩身で精悍なラブよりも”イングリッシュ・タイプ”(アメリカ的な表現です)と呼ばれるストップがはっきりしていて、骨太で重量感のあるラブである。そんなラブの写真や血統を見ていると、必然的に英国やヨーロッパのサイトに関心が移っていった。 

  • www.labradornet.com
  • www.champdogs.co.uk
  • www.european-labrador-breeder-list.com
  • www.labradordb.com
  • labrador.retriever.free.fr 等である。

以上のサイト・データベースから探してゆくとかなりの情報が入手出来る。アメリカのブリーダー・サイト、例えばWing-N-Wave Labradors 等もかなり参考になる。

アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドと云った英語圏の国々、英国以外のヨーロッパ諸国にも素晴らしいラブラドールがいる。しかし私が素晴らしいと思う犬たちも、結局は英国からの輸入犬やその子孫たちだった。イングリッシュ・ラブに対する憧れが強くなった。 
もちろんホームページを持たない有名なブリーダーも多い…。インターネットは万能ではないし、実際にそれらの犬たちをこの目で観たわけではない。ホームページ、データベースのレイアウトや、写真の良し悪しで印象は大きく違ってくる。ヴァーチャルな疑似体験でしかないと認識しているが、要は自分で取捨選択出来るかどうかだと思う。


本を読むこともインターネットと似ているかも知れないが、知識を得ることはできるし、コンタクトが判ったりする。アメリカの大きな書店でも、ラブラドールの専門書はそれ程多くは列んでいないが、amazon.comなら一週間以内に注文した本が入手出来る!(但し送料が高い)。最近ではamazonでも古本が入手出来るし、eBayのオークションも結構使える。ここにもテクノロジーの恩恵があった!


私が読んだ 本は:

“Everyone's Dog the Labrador Retriever” by Marion Hopkinson
“The Ultimate Labrador Retriever second edition” by Heather Wiles-Fone
“The Versatile Labrador Retriever” by Nancy Martin
“The Labrador Retriever The Dog That Does It All” by Lisa Weiss & Emily Biegel
“Labrador Retrievers for DUMMIES” by Joel Walton, Eve Adamson
“Reaching for the Stars” by Mary Roslin-Williams
“Pedigree Labradors of the United Kingdom 2003” Compiled and Edited by Ann Britton, Erica Jayes & Rosemary Hewitt
"All about the Labrador" by Mary Roslin-Williams
"The Dual-Purpose Labrador" by Mary Roslin-Williams
"The Show Labrador Retriever in Great Britain and Northen Ireland 1945 - 1995 Volume Two" by Richard Edwards
"Sandylands" by Richard Edwards

"Labrador Retriever Today" by Carole Coode

イタリックはお奨めです。

 

 

☆☆☆ラブラドール・レトリバーの歴史 ☆☆

ラブラドール・レトリバーはどこから来たか?! 原産国はカナダ?イギリス?
ラブラドール半島ではなく、ニューファンドランド(ニューファンドランドは島)の地犬で、漁師の手伝いをしていた黒い犬が、18〜19世紀にイギリスに渡り固定されたとほとんどの本には書かれている。その黒い犬の祖先はどんな犬(たち)???と疑問を持ち色々調べてみた。


ラブラドール・レトリバーの起源はわからない?!
ラブラドールの専門書にも、その正確な起源は判らないと書いてある。それでもラブラドール・レトリバーの歴史を探るには、ニューファンドランド(島)の歴史を知る必要がある。1492年にコロンバスが新大陸を発見したと歴史で習ったけど、ネイティブ・アメリカン(インディアン)やイヌイット(エスキモー)の先住民が住んでいた訳だし、西暦1000年にはヴァイキングがアイスランド、グリーンランドを経由してニューファンドランドに航って、短期間だが定住している。(余談だが、アイスランドは緑あふれる島で、逆にグリーンランドは氷に閉ざされている)
その後、白人の歴史的には500年ほどの空白があり、15世紀の終わりからイギリス人、ポルトガル人、フランス人が立て続けにニューファンドランド島とラブラドール半島を探検している。寒流と暖流が交わる海には魚が豊富だったので、16世紀からスペイン人とポルトガル人が、少し遅れてイギリスとフランスの漁師たちが夏の間だけの出稼ぎとして沿岸で漁をして、乾燥させた塩漬けの魚(主にたら)と魚油を本国に持ち帰った。当時の乾燥タラは貴重品だった。後に移住した人びとの人数は1,000〜5,000人程度だったと推定され、少人数で点在していたため、英国の植民地として本格的に統治されたのは17世紀の初めだった。

まぎらわしいけど、犬種のほうのニューファンドランドも起源は不明とされている。ヴァイキングが連れてきた黒い犬が基礎になったと云う説、先住民は犬を持っていなかった説、エスキモータイプで北方のスピッツ系の犬がいた説などがある。
やはりラブラドールの基礎となったのは、漁業のために出稼ぎと移民してきた人々が、西ヨーロッパから連れてきた犬たちだろうか?!

ラブラドールの祖先たちは、最初“セント・ヒューバートハウンド”と呼ばれていた。英国ラブラドール・レトリバー・クラブ設立時(1916)のセクレタリーを務め、後に会長も務めたハウ伯爵夫人は、18世紀の後半にニューファンドランドを広範に探検した、カートライト中佐の旅行記の「原住民のインディアンは宗教上の理由から犬を持っていなかった」と云う記述から、北アメリカに犬はいなかった説をとっている。後に英国から移住した人々が、狼から守る番犬として連れて行った、当時評価の高かったブラックのセント・ヒューバートハウンドが、モダン・ラブラドールの基礎になったのではないか?!とその著書に書いている。セント・ヒューバートハウンドはフランスの原産でブラッドハウンドの別名でもあるらしいが、現在のブラッドハウンド、そのままの姿ではないだろう。

ラブラドール・レトリバーに関する3冊の著書で有名な故メアリー・ロスリンーウイリアムス女史は、それらの本のなかで"Laboreiro"と呼ばれるポルトガル、スペインの国境からフランスにかけてキャトルドックとして使用されていた地犬が、ラブラドール・レトリバーに極めて類似していると述べている。写真も載っていて、粗いイエロー・ラブラドールの印象である。ウイリアムス女史は、このポルトガルのキャトルドッグと、北方のエスキモータイプの犬がミックスされたのではないか?!と推測している。

またナンシー・ウイルアム女史(アメリカ人)の”The Versatile Labrador Retriever”には別の説が載っている。ニューファンドランド生れで、ラブラドールのブリーダー/ジャッジもしている大学教授、マイケル・ウッズ博士の調査によると、ニューファンドランドに住んでいたインディアンは、紀元前から中型のオオカミのような犬を飼っていた(骨が発掘されている)。それらの半分野犬状態だった“オオカミの様な犬”が基礎となり、漁師が持ち込んだヨーロッパの犬たちとの混血がラブラドールで、すでにニューファンドランドで固定されており、英国で多少洗練されただけであると述べている。
かつて英国では、カナダからの輸入は全く関係がなく、ニューファンドランドとポインターのミックスでラブラドールが作出されたと主張する人がいたそうだ。
つまり、ラブラドール・レトリバーの起源は、ほとんど判らない。


極めて初期のラブラドール・レトリバー
ラブラドールの祖先たちは、まず“セント・ヒューバートハウンド”と呼ばれ、やがて“レッサー・ニューファンドランド“(以前話題になったレッサー・パンダのレッサーです。Lesserは小型の、細身の、という意味)、そして”セントジョンズ・ドッグ“(セント・ジョンズは地名。ニューファンドランドの州都)と呼ばれていた。
長毛で大型の”グレイター・ニューファンドランド(ニューファンドランドの祖先たち)”は、主に4頭立てで荷車(山から薪を運んだ)や橇を引き、短毛で小型の犬(ラブラドールの祖先たち)は、タッドリーと呼ばれるふたり乗りのボートに乗り、主に漁の手伝いをした。

18世紀の開拓地の暮らしは、想像以上に厳しかったと思う。ラブラドールの祖先たちは、凍りそうな海で網から落ちた魚を回収し、網のロープのはしを海から陸に運んだ。さらに薪や凍った魚の入ったバケツを載せたソリを引き、馬さえあまり使えない極寒の地で、人も犬も生きるために重労働をこなしていた。当然ながらその能力は、ハンティングでも活されていた。過酷な環境下で、彼らは半冷凍の魚の内臓や、与えられた一片の乾燥肉を食べ、時には革製のハーネスさえも食べていたと書かれている。水中でも雪の中でも作業が出来る密生したダブルコートと、氷や凍った岩の上でもバランスが取れる強靭な体躯が必要とされていた。
ラブラドール・レトリバーの最大の特徴である卓越したレトリーブ能力と(主人を喜ばせようとする)旺盛な作業欲も、そんな厳しい環境が生み出したものなのだろうか?!

大型の帆船を所有し、ニューファンドランドと英国のプール港間で交易をしていたコロネル・ホウカーは、1814年に出版した”Instructions to Young Sportsman in all that relates to Guns and Shooting”のなかで、セントジョンズ・ドッグを称して「最高のシューティングドッグ。通常はブラック、ポインターより大きくなく、スムーズな短毛で素晴らしい脚を持ち、尾をそれほど高くカールさせない。極めて早いレトリーブ、泳ぎ、ファイティングに優れている・・・」と述べている。
ニューファンドランド生まれのW.E.コーマックが、1822年にヨーロッパ人として初めて徒歩で島を横断した。その旅行記のなかで、小型のウォータードッグを見て「素晴らしく訓練され、水鳥を回収してくる・・・スムーズな短毛の犬が好まれる。寒空のもとで長毛種は水から上がると凍って面倒になる・・・」と書いている(そうだ)。
これらがラブラドールの祖先に関する一番古い記述である。

イギリスの漁師たちは、そんな素晴らしい能力を持つ犬たちを、本国へ持ち帰り、主にプール港(イングランドの南西部)の市場で売っていた。そして1830年代からイングランド北部とスコットランドにおいて、計画的なブリーディングが始められた・・・。


英国に渡ったラブラドールの祖先たち
ドッグショーやフィールド・トライアルで、その名前が出てくることは無いが、“ブクルーチ公爵(The Dukes of Buccleuch)”と、“メルメスベリー伯爵(The Earls of Melmesbury)”の何世代かに渡るケンネルは、ラブラドールの歴史に大きく貢献した。
スコットランドのブクルーチ公爵5世が、セントジョンズ・ドッグを輸入したのは1825〜1830年。弟のジョン・スコット卿、メルメスベリー伯爵、ホーム伯爵、ラドクリフ氏が輸入したと記録されている。
メルメスベリー伯爵2世(1778-1841)も亡くなるまで、セントジョンズ・ドッグをヘロンコート(地名)に輸入を続けた。

メルメスベリー伯爵3世は、ブクルーチ公爵6世に宛てた書簡で「私は常に“ラブラドール”と呼んでいます。最初にプールで入手した犬のように、出来る限り純血を心がけてブリーディングしています。純血種は密集したコートがオイルの様に水をはじき、かわうその様な尾を持っている・・・」と述べている。1887年のことである。ラブラドールという呼称が初めて記録された。
さらに自身の犬を「小型、コンパクトでとてもアクティブ:コートは短毛で厚くスムーズ、特定の季節に茶色に色あせることもある。目の色は砂糖を焼いた様な色。頭部は大きくなく、幅が広く均整がとれていて、マズルは長くない。賢い顔の表情は、優しい気質と勇気を表している」と説明している。
ブクルーチ公爵6世は、メルメスベリー卿から贈られたWhen とNed(1882、Malmesburry Sweep X Malmesburry June)、さらにAvon (1885、Malmesburry Tramp x Mulmesburry June)を他の犬たちとは区別してブリーディンした。以降、ブクルーチのラブラドールは、全てネッドとエイボンの2頭の犬にさかのぼる。と言うよりも、世界中の全てのラブラドール・レトリバーは、ネッドとエイボンにさかのぼるのだろう。

1888年、ブクルーチ公爵6世の下の息子、ジョージ・スコット卿が“ブクルーチ・ラブラドール”を引き継いだ。分散する領地には60人以上のゲームキーパー(猟場の管理をする人々)がいて、ラブラドールの管理と訓練もゲームキーパーたちの仕事だった。ジョージ・スコット卿は、全てのブリーディングをアレンジ/コントロールしていた。犬たちは決して売却されることは無かったが、時々家族の友人や関係者に贈られた。こうして貴族階級の手厚い保護と計画的な繁殖により、ラブラドール・レトリバーは固定されてゆく。


セントジョンズ・ドッグ
ニューファンドランドでは、1780年に“シープ条例”が発令された。羊を増やすために、その脅威となる犬の所有を一家族1頭に制限した。さらに1885年には、羊の繁殖を増やすための新たな法案が議会を通過し、犬の所有に重税が課せられた。元々その数は多くなかったので、決定的なダメージとなった。(結果的にニューファンドランドに於いて、羊の飼育が広く普及することは無かった・・・。当時のニューファンドランドは英国の統治領で、カナダの州となったのは1949年である)
英国では1895年、狂犬病の流入を防ぐために検疫制度が確立した。6ヶ月の検疫期間のために、輸入は不可能に近くなってしまった。それでもブクルーチ公爵6世は、ラインを維持するために1933,34年に、5頭のセントジョンズ・ドッグを輸入した。これらが最後のオリジナル・セントジョンズ・ドッグとなった。
最後のセントジョンズ・ドッグの写真をネットで観ることが出来る。Lassieという13才の牡と15才の兄。リチャード・ ウォルター氏が自署の“ラブラドール・レトリバー”(1981年出版)に載せた写真だそうだ。遠隔地に残っていて、牝はもういなかったと書かれているそうだ。四肢に白いマーキングがあり、年齢のせいかマズルの先が白い。
1867年に撮影したホーム伯爵のネル(Nell、11歳のセントジョンズ・ドッグ)の写真もネットで観ることが出来る。こちらも四肢の先が白いが、外見はほとんど現在のラブラドールと変わらない。
残念ながら「セントジョンズ・ドッグ」は絶滅したとされている。


100年前のラブラドール・レトリバー
19世紀の中盤に鉄道が普及し、初めてドッグショーの開催が可能になり、1873年に“ザ・ケンネル・クラブ(英国ケンネルクラブ)”が設立された。ラブラドールがケンネルクラブに公認されたのが1903年である。そして第一次世界大戦の最中の1916年に、ナッツフォード子爵が会長となり“ラブラドール・レトリバー・クラブ”が設立される。
ケンネルクラブ(KC)が初めて開催したレトリバー・トライアルが1906年。オープン・ステークに参加したのは、ラブラドールが5頭、フラットが15頭だった。その年のレトリバー・トライアルに伝説の“フラッパー”が登場し、ラブラドールが注目をあびる。フラッパーもブクルーチとメルメスベリーを継承している。
1911年からフィールドで活躍したのは、"FT.CH. Peters of Faskally"。さらに2年後には息子の "FT.CH. Patron of Faskally" がチャンピオンになる。これらの犬たちの活躍により、ラブラドールのガンドッグとしての地位が不動のものとなってゆく。
ピータース(Peters of Faskally)は、32頭以上のフィールド・トライアル勝者の父親になっている。ハウ伯爵夫人の著書”ポピュラー・ラブラドール・レトリバー”にはピータースの5代祖まで遡る血統が載っているが、ブクルーチとメルメスベリーが基礎となっている。5世代なので64頭の名前が出ているが、その内の10頭が不詳となっている。それらの犬たちもどんな犬だったかが、細かくコメントされていて、純血(オリジナル・セントジョンズ・ドッグ)へのこだわりが伺える。ブクルーチとメルメスベリーから、ラブラドール・レトリバークラブの設立者であるナッツフォード子爵のムンデン犬舍を経由して、ピータースが誕生する。

メルメスベリー伯爵のケンネルは、19世紀の初期に設立され100年近く存続した。SWEEP (1877), TRAMP (1878), JUNO (1878)から始まるラインは、ピータースを通して、最初のデュアル・チャンピオン・バンチョリイ・ボーロ(DualCh.Banchory Bolo, 1915 *Banchoryはハウ伯爵夫人の犬舎)に繋がっている。残念ながら、セントジョンズ・ドックからの直接的な血統は、第一次大戦中に途絶えている。
1920年代のブクルーチには150頭のラブラドールがいたそうだが、ブクルーチ7世は犬にあまり興味が無かった。そのうえ第二次世界大戦の影響で、規模が小さくなってしまった。大戦直後には、ジステンパーで大きなダメージも受けている。それでもブクルーチ・ケンネルは、再生され、継承されている。(2007年に歴史上初めて、ブクルーチのラブラドールがフィールド・トライアルに出場し、勝っている)
こうして19世紀の初めから約100年を掛けて、優秀なガンドッグの作出を目指したメルメスベリー/ブクルーチの強力なラインが、フィールド系統、ショー系統に関わらず、世界中のラブラドール・レトリバーの基礎になっている。

ラブラドールに限らず、ゴールデン・レトリバー、フラットコーテッド・レトリバー、アメリカ原産のチェサピークベイ・レトリバーさえもセントジョンズ・ドッグが基礎となっている。ラブラドール以外のレトリバー種は、それぞれが他の猟犬種との交配により改良され、固定されていった歴史がある。殆ど同じ時代だが、それぞれが独自に、別の地域で発展したと伝えられている。わずか100年前のことである。

1916年のクラフトでCCを獲得したラブラドール“マックス”は、ラブラドール1/4、フラット3/4だったので、翌日にラブラドールクラブ(ナッツフォード子爵)とケンネルクラブの間でミーティングが持たれた。マックスの血縁の犬が、フラットで勝っていた事からフラットの関係者も出席した。当時の関係者は、ほとんどが貴族かゲームキーパーだった。
クラブ設立以前は、登録者の意向で登録が可能だった。つまり同胎でも、ラブラドールとフラットに分けられたり、イエローはゴールデンとも呼ばれる事もあったそうだ。1920年には“純粋な”ラブラドールの定義が議論となり、ラブラドール・レトリバーとは、両親と祖父母がラブラドールとして登録されている事とされた。インターブリード(ラブラドールとフラット)を親に持つ犬は、クラブのトライアルには参加できない。但しその犬がラブラドールと交配すれば、その子犬はラブラドールと認められたそうだ。
ラブラドールクラブの初代会長に就任したナッツフォード子爵は、ラブラドールに関する高い見識と優れた指導力でクラブをまとめ、パワフルなクラブを創り上げ、1935年に亡くなるまでラブラドールの発展に大きく貢献した。又、自らの苦い経験からジステンパー・ワクチンの開発にも力を注いだ。


たかが100年、されど100年
英国の貴族・領主たちが、オリジナル“セントジョンズ・ドッグ”を可能な限り守り続けて、20世紀の初めにラブラドール・レトリバーが誕生した。それから100年も経っていない、20世紀の終わりには世界的な人気犬種となった。100年前の人々の犬に対する感覚、感情は現代人と昔の人々では全く違うだろう。ワクチンや抗生物質が無く、ドッグフードもない、冷蔵庫もない時代の犬の飼育・管理は大変だったに違いない。そして2度の世界大戦は、ラブラドールの発展に大きなダメージを与えた。ラブラドールに限ったことではないだろうが、数も減り、混血が増えてしまったと云う。たぶん純血種の犬たちが本当に洗練されたのは戦後の事だと思う。そんな20世紀の100年間の変化は、19世紀の10倍位の変化に値したと思う。(ちなみに21世紀は20世紀の250倍の早さで進歩するという)


初期のラブラドール登録数(英国ケンネルクラブ)
1912年:281、1922年:916、1932年:1,205、1942年:1,160、1952年:3,196

(2008年:45,233)


イエロー・ラブラドール
100年前の犬の色の“レバー”は、イエローからレッド、チョコレート、ブラウンまでを意味していたと云う。イエローは“ゴールデン”と呼ばれることもあったそうだ。
メアリー・ロスリンーウイリアムス女史は、ダーマムのボウズ・ミュージアムに展示されている2枚の肖像画に、イエロー・ラブラドールが描かれると書いている。確かにボウズ夫人の傍らにたたずむ犬は、イエローラブにしか見えない。1848年に描かれた油絵である。つまり19世紀の中盤にはイエローラブが英国に存在していたと述べている。
ケンネルクラブでは1925,6年頃まで、ブラックとイエローは別々に登録されていた。不遇なイエローを救い、発展させるために、1925年に“イエロー・ラブラドール・レトリバー・クラブ”が設立された。
フィールド・トライアルで最初に勝利したイエローラブは1908年の“サンディ”。
最初に登録されたイエローラブは、ラドクリフ氏の“ハイジ・ベン”(1899年、Hyde BenもしくはBen of Hydeと表記される場合もある)で、大多数のイエローの先祖と云われている。ラドクリフ氏はセントジョンズ・ドッグを輸入したパイオニアのひとりで、ハイジ・ベンはブラックの両親(Neptune x Duchess)から生まれた。
戦後の1946年に生まれた、たぶん最後のデュアル・チャンピオンとして有名な“バンジョー”(Dual Ch. Knaith Banjo)は、父方がポップルトン・イエローだが、フラッパーやバンチョリイ・ボーロの血統を受け継いでいる。母方はハイジ・ベンの息子、マニー(Hyde Ben Mannie)が基礎になっている。
国王のジョージ6世(現エリザベス女王の父)を始めとする熱心なサポーターたちがイエローを支え、1950年代にはフィールドでもショーでも、ブラックと変わらない成果を上げてゆく。そして英国では1960年代後半にラブラドール・ブームが訪れたが、特にイエローが人気を博した。(その後、1970年代にはブラックの人気も復活する)



戦前のラブラドール・レトリバー

結局、ラブラドール・レトリバーの起源は判らないが、本格的に固定されはじめてから僅か80年から90年程度しか経っていない。そんなに昔の話という訳ではないので、初期の文献や写真が残っていて、書籍で紹介されている。1920年代までは混沌として、純粋犬種として本格的に固定が始まったのは、第一次世界大戦後と考えられる。

1920年代、30年代はフィールド、ベンチ(ショー)に関わらず、ハウ伯爵夫人のバンチョリィ犬舍(Banchory)の独壇場だった。最初のデュアル・チャンピオンとして有名なBanchory Boloを初め、Dual Ch. Banchory Painter, Dual Ch. Banchory Sunspeck, Dual Ch. Bramshaw Bob, Ch. Ilderton Ben, Ch. Banchory Trueman, Ch. Banchory Danilo, Ch. Bolo’s Trust, Ch. Ingleston Ben, Orchardton Donald, FT.Ch. Balmuto Jack などがいた。
Banchory Bolo(1915生、1922年のクラフトDogCC)の父親は、Scandal of Glynn (F.T.Ch. Peter of Faskallyの直子)、ボーロはムンデン犬舍のMunden Sixty, Munden Sentryを経由して、マルメスベリー伯爵のトランプ(Lord Malmesbury’s Tramp, 1878)の8代目にあたる。

クラフトは1904年に始まり、1世紀以上の歴史のなかで(ラブラドールのクラスが無かったり、戦争で中断しているが)、ラブラドール・レトリバーは3回BISを獲得している。1932年、1933年にDual Ch. Bramshaw Bob (Ch. Ingleston Ben x Bramshaw Brimble)と、1937年のCh. Cheveralls Ben of Banchory (Ch. Ingleston Ben x Xmas Nora) だが、いずれもハウ伯爵夫人の所有だった。

ショー・ラブラドールに限っての話だが、ラブラドール・レトリバークラブの最初のチャンピオンシップ・ショーは1939年に開催され、139頭が参加した。ハウ伯爵夫人のBanchory Robinが牡のCCを獲得したが、BISの記録は残っていない。最初のショー参加した当時の有力犬舍は、Banchory, Holton, Knaith, Liddy, Poppleton, Towyriver, Sandylands, Zeltonだった。

Banchory犬舍はブリーダーというよりも、若い優秀なラブラールを買い集めては、チャンピオンにしていたので、“伝説の名トレーナー”トム・ガウント氏の存在も大きかったと言われている。
ハウ伯爵夫人は1916年のラブラドール・レトリバー・クラブ設立時からの主要メンバーで、1916年からセクレタリー/財務担当を務め、初代会長のナッツフォード卿が亡くなった1935年から1960年まで会長を務めている。(ラブラドールに限らず、フリーゼとパグでも有名で、パグの歴史的名犬も所有していた)
デュアル・チャンピオンを完成したラブラドールは10頭しかいない。そのうちの4頭がハウ伯爵夫人の所有だった


【デュアルチャンピオン・リスト】
Banchory Bolo (the first Dual Ch.) by Scandal of Glynn ex Caehowell Nettle
Banchory Sunspeck by Ch. Iderton Ben ex Bungavel Juniper
Titus of Whitmore by Twist of Whitmore ex Teazle of Whitmore
Branshaw Bob by Ingleston Ben ex Bramshaw Brimble
Lochar Nessie by Lochar Peter ex Lochar Biddy
1939年以降
Banchory Painter by Peter of Painter ex Glenhead Bess
Stainton Saighdear by Glenhead Jimmy ex Our Lil
Knaith Banjo by Poppleton Golden Russet ex Knaith Brilliantine
Rockstead Footspark by Ludford Razor ex Jaala
Flute of Flodden by Dual Ch. Titus of Whitmore ex Wemyss Rachael


《英国のショー・ラブラドール・レトリバー》


* ここからは(取り敢えず)ショー系統のラブラドールに限った血統の話。

戦後のブラック・ラブラドール
第二次世界大戦が終わり、ラブラドール・レトリバー・クラブのチャンピオンシップ・ショーは1946年に、クラフトは1948年に再開された。クラブショーの最初のウイナーは、ハウ伯爵夫人のCh. Orchardton Du‘O Banchory とブラッドレー夫人のCh. Sandylands Blackberryだった(この年はショーが2回開催された)
バンチョリイ・ケンネルは20年代、30年代の大成功を継続し、そのトップショードッグたちは有名なCh. Ingleston Benの血統を継承していた。戦後もCh. Orchardton Du’O Banchory, Ch. Banchory Cottager、さらにハイクオリティ・ブラック“Ch. British Justice”、50年代中盤には”Ch. Cissbury Adventure”を擁していた。

サンディランズのブラッドレー夫人は職業ブリーダーで、戦前・戦中の血統を引き継ぐ事が出来た。戦前のチャンピオンは、Ch. Sandylands Jerry, Ch. Sandylands Janice, Ch. June of Sandylandsの3頭がいた。そして戦後まもなく6頭のチャンピオンを完成した。Ch. Sandylands Beau, Sh.Ch. Sandylands Bob、牝はCh. Sandylands Blackberry, Ch. Sandylands Harley Princess, Ch. Sandylands Harley Superb, Ch. Sandylands Belle of Helenspring。重要なのは、これらの牝たちの子供たちがその後大活躍することである。当時のサンディランズはブラックケンネルだった。

その他の有力ケンネルも戦後すぐに台頭してきた。彼らはまず良い犬を確保することから始めた。売る側もお金が必要な、まだ生活も大変な時代だったそうだ。
ブラドン氏のIdeはそんな方法で成功していたケンネルのひとつでCh. Blacksmith of Ide、その娘のCh. Black Bess of Ide, Ch. Barrowby Fern of Ide, Ch. Shadow of Creation of Ideを擁していた。
ジェームス夫妻はトップクラスのブラックラブラドール、Ch. Wendover Topsyとその息子Ch. Wendover SolomonとCh. Wendover Kinley Colleenを有していた。

テイラー氏のWhatstandwellには、デュアル・パーパスのトップブラックの牡Ch. Whatstandwell Ballyduff Robinがいた。サンディランズから購入したSandylands Junyとの交配により、この時代を代表する牝となるCh. Ballyduff Whatstandwell Rowenaが生まれた。そしてRowenaとCh. British Justiceの間にうまれたのはSh.Ch. Ballyduff Tory。サンディランズに行ったToryは、子孫を残さないままアメリカへ輸出されてしまう。Robinもトップクラスの牡を残していない。したがってWhatstandwell犬舍は、大成功した割にはその影響力を後世に残していない。
セヴァーン氏のTibshelfにはCh. Louvil of Tibshlfがいて、多数の後続犬舍に基礎犬を供給する重要な役割を担った。

終戦直後の時代にショーで最も活躍したのは、ギリアト氏のCh. Holton Baronだった。Holtonは戦前からトップケンネルだったが、Baronの登場により、さらに有名になる。影響を与えたと云う意味では、ブラックの牝Holton Duskの存在が大きかった。DuskはBlaircourt(ブレアコート)など、スコットランドのラブラドールの基礎となっている。
サウンダー氏のLiddly犬舍にはイエローもいたが、トップクラスはブラックだった。戦前のCh. Liddly Jonquilは、スタッドとしてショー系のみに関わらず、トライアル系にも貢献した。戦後はCh. Liddly CornflowerとCh. Liddly Buddleiaが特筆されている。

完全にブラックのラインとして有名なMロスリン−ウイリアム女史のManserghは終戦直後から始まった。ワーキングラインとショーラインをミックスして、1950年代中盤にCh. Midnight Manserghがトップショードッグとなった。Midnightを継承した牝のチャンピオンたちは、デュアル・パーパスを基本とした特徴的なタイプを完成した。

Heatheredgeのワード女史は牝を好んで手元に残していた。Ch. Careena of HetheredgeはCh. Ballyduff Whatstandwell Rowenaと共に、その時代を代表する牝だった。ブラックのCh. Cookridge OtterはHeatheredgeでCareenaから生まれCookridgeのポウリング夫人に売られた。
Cookridge犬舍はHeatheredgeを基礎にスタートしたが、直に独自のタイプを作り上げて高く評価される。Cookridge Gay Princessから、最初のチョコレート・チャンピオンCookridge Tangoが誕生した。更にショー系ラブラドールにとって重要なのは、Ch. Hollybank BeautyはCookridgeで生まれたことである。Beautyは60〜70年代のショー・ラブラドールの中心的な役割を果たす。孫娘のSh.Ch. Sandylands Katrinka of Keithrayを通してサンディランズへ、息子のCh. Ballyduff Hollybranch of Keithray を通してバリーダフへ大きな影響を与えた。


Hetheredge, Cookridge, Keithrayは、ショー・ラブラドールへ大きな影響力を発揮した3大ケンネルである。

ブレアコート(Blaircourt)
もう一方でこの時代のブラック・ラブラドールに有意義なインパクトを与えたのは、スコットランドのケイアンズ夫妻のBlaircourtである。ブレアコートのラインはスコットランドの有力犬舍、Craiguscar, Lochar, Glengour, Treesholmeで構成されている。Ch. Colleen of Blaircourtをはじめとするトップウイナーたちで戦後早々と成功を収めていたが、3頭の牡たちSh.Ch. Sam of Blaircout, Ch. Ruler of Blaircourt, Ch. Sandylands Tweed of Blaircourtはタイプ、クオリティ、優性遺伝で突出していた。最も輝かし賞歴を誇るのは、クラフトでリザーブBISを獲得したルーラーだが、息子のトウィードはそのタイプとクオリティを、この犬種に残す程の大きなインパクトを残している。現代のショーウイナーでトウィードに遡らない血統を探す事は難しく、通常何ラインも入っている。サムはSandylands Shadowを残している(サムもサンディランズに居たが、一胎だけを残してアメリカへ輸出された)。こうしてサンディランズは、ブレアコートの絶大な功績を受け継いだことになる。


戦後のイエロー・ラブラドール
戦後のブラック・ラブラドールの血統を鑑みると、Ch. Ingleston Benが要となっていると容易に認識出来るが、イエローに関してはBenの様な存在はいなかった。それでも全てのイエローはBen of Hydeに遡る。
他にイエローに大きな影響を与えたのはGolden Morn, Ch. Banchory Danilo(ブラック)とその息子Ch. Badgery Richard(イエロー)、そしてIngleston Benも孫のCh. Kinpunie Kam(イエロー)を通して、イエローにも貢献している。

“イエローオンリー”のポリシーを貫いたウォーマルド夫人のKnaith犬舍は、その大成功でイエローの普及に大きく貢献をした。特に有名なDual Ch. Knaith Banjoは、ショーとフィールドの数多くの勝利により、イエローの地位を引き上げた。ただし子孫はあまり残していない。

マックファーソン夫人のBraeroysは特徴あるラインを維持していた。基本はワーキングドッグだが、数頭のトップショードッグを有していた。ラドクリフ夫人のZelstonesも終始ワーキングを優先していたが、容姿も素晴らしいショーウイナーのCh. Zelstone Leap Year Lassがいた。
ウインター氏のDual Ch. Staindrop SaighdearはWhatstandwellsを通してショー系統にも貢献している。ショードッグ/スタッドとして有名なCh. Whatstandwell CoronetはSaighdearの孫にあたる。
ハート氏のLandykesの有名なチャンピオンCh. Landykes ShebaとCh. Landykes Velourは、Ch. Badgery Richardに遡る。

ポップルトン(POPPLETON)
Landykesをはじめとする多くのイエロー・ケンネルがショーケンネルとして成果を上げられたのは、オウスウエイト夫人のPoppletonのラインを取り入れたことから始まる。Poppletonを基礎にしている全てのイエローの血統は、最終的にCh. Poppleton Golden Majorに遡る。戦後、最も重要なスタッドとしてはCh. Poppleton Golden FlightとCh. Poppleton Lieutenantが挙げられる。

ポップルトンの影響力は以下の3ルートを経由している。
Diant, Rookwood, Cornlands, Nokeener
Ch. Diant Swandyke Cream Crackerと、その姉妹Ch. Landyke Poppyは、多数のトップケンネルに貢献している。Cream Crackerの大活躍で、ウィルソン−ジョーンズ夫人のケンネルは50年代から60年代初めに大成功を収めた。Cream Crackerの娘Ch. Diant Julietは、長年に渡りトップウイニング・イエローになる。又、その娘のDiant Joy of BraedukeはCh. Breaduke Joyfulの母親となり、Diant PrideはSandylands Shadowを産んでいる。Ch. Landyke Poppyは当時のトップウイナーたち、Ch. Landyke LancerとCh. Landyke Stormerの母親となる。
サフェル夫人のRookwoodケンネルの特徴的なクリーム色は、Cream Crackerを基礎に構成されていた。Ch. Rookwood Silver Dewは、Ch. Sandylands Tweed of Blaircourtと交配する。最も有名なCh. Rookwood Petergoldはスタッドとして、多くの子孫を残している。

ラエ夫人のCornlandsは、根本的にはイエロー・ケンネル。Cream Crackerを基礎としているが、その子孫達は粗いイエローだった。その確立されたアスリート・タイプはポップルトンから受け継いだ。コーンランズの初期の成功はCream Crackerの直子、Ch. Cornlands Peter So Gayだった。Ch. Cornlands Westhelm FlightはCh. Poppleton Lieutenantの直子。ラエ夫人は、彼女のラインに合う牡達を買い集めた。ベケット夫人からCh. Cornlands Kimvalley Croferを、そしてウイリアムス夫人からCh. Cornlands Nokeener Highlightを譲り受けた。その他のチャンピオンは、Ch. Cornlands Young Emperor, Sh Ch. Cornlands Hamletがいた。後にそのタイプは洗練されてゆき、全ての時代を通しても最高の牝の一頭と評価されるCh. Cornlands My Fair Ladyが登場する。最高のタイプとクオリティを有し、牝らしいやさしい表情、行き過ぎない存在感と力強さがあった。後年には牝らしいクリームのCh. Cornlands Blonde Ladyがいた。コーンランズはクラフトとラブラドール・レトリバー・クラブショーにおいて大成功を収めていて、50年代中盤から約25年間に渡り、ショーリングの中心的存在だった。
ウィリアムス夫人のNokeenersもCream Crackerをベースとしていた。Nokeenersは、この時代のイエローに大きな影響を与えている。Nokeeners Novelcrackerは、有名なLandykes StormerとLancerの父親である。仔犬のCh. Kingsbury Nokeener MoonstarがクラフトでCCを獲得するなど、ウイリアムス夫人は、多くの犬舍に極めて質の高い犬たちを供給した。実際にMoonstarは、父親のSh Ch. Nokeener Moonrocketより早くチャンピオンを完成している。
キンセラ夫人のBrentchaseの愛らしい牝たち、Ch. Brentchase PompadorとCh. Brentchase PistachioはCream Crackerの孫にあたる。

キンレイ(Kinley)
第二のポップルトンをベースとするラインは、ウリングレイ氏のKinleyになる。キンレイは適正なクロスブリーディングで、迅速に独自のケンネルタイプを確立する。Ch. Kinley CopperとCh. Kinley Skipperが特筆される。スキッパーの血統は、現代の数多くのラブラドールに引き継がれている。ビッグウイナーはSh.Ch. Kinley Spruce。

ガーシャンガン(Garshangan)
ポップルトンの第三のルートは、ヒル中佐のGarshanganに代表されるラインである。最も有名なCh. General of Garshanganの様に、彼等も特徴的なタイプを持っていた。サンディランズのブラッドレー夫人がSh Ch. Garvel of Garshanganを、ブラックラインのアウトクロスとして使ったことにより、このラインも永遠に引き継がれてゆく。Sh Ch. Sandylands Garryの血統を受け継いだ現在のウイナーたちからも、このラインのタイプを見出すことが出来る。

 

サンディランズ(SANDYLANDS)の時代(60〜70年代)
長い間、ブリーダーはそれぞれが自分のカラー内での繁殖を指向していたので、ブラックとイエローは区別されていた。特定のブラックケンネルのイエローに対する偏見が、イエローラインを隔離していたのかも知れない。実際にトウィードが登場する以前のブラックとイエローのタイプは違っていた。トウィード以降になるとその違いは判らなくなる。両方のカラーの多くのケンネルが、トウィードとその息子たちをスタッドとして使い出した。

”サンディランズ・トウィード・オブ・ブレアコート”
サンディランズは戦前から成功をおさめた有名犬舎だったが、1950年代の後半は、故グウェン・ブラッドレー女史にとって、ハウ伯爵夫人とのパートナーシップを解消した直後で厳しい時期だった。抱えていた犬たちの年齢的な問題もあり、血統的にもフレッシュな牡を必要としていた。(“サム・オブ・ブレアコート”がいたが、魅力的なオファーのためアメリカに輸出してしまう)“トウィード・オブ・ブレアコート”を迎えたことにより、サンディランズが再び活況を呈したのみならず、近代ラブラドールの発展に最も大きな影響力を発揮してゆく事になる。
モダン・ラブラドールの歴史は、仔犬の“トウィード”(Ch. Sandylands Tweed of Blaircourt black, 1958)が木箱に入り列車で遠路、スコットランドのブレアコート犬舎からサンディランズに届いた時から始まる・・・。
1950年代、ケイアンズ夫妻のブレアコート犬舎は、高いレベルだったスコットランドの有名犬舎のラブラドールを基礎に、15年間の綿密なラインブリードで、当時最高のラブラドールを作出していた。 Ch.Ruler of Blaircout (’56), Sh.Ch.Sam of Blaircourt (’57)、そして Ch.Sandylands Tweed of Blaircourt (’58)。トウィードの父親、ルーラーはクラフト(リザーブBIS)をはじめ、22CCを獲得した最高の牡で、母親のSh.Ch.Tessa of Blaircourt(Yellow ’57)もトップ・ショードックだった。故ブラッドレー女史はむしろテッサの良血統に注目していたそうだ。
トウィード自身の素晴らしさに加え、サンディランズの影響力や地理的な利便性、更にルーラーは5才で亡くなり、サムはアメリカに行ってしまった事情もあり、当時の優秀な牝達のほとんどが集まったと云っても過言では無いらしい。トウィードはハンサムなだけではなく、良血統を誇っていた。優秀なイエローの牝たちを通して、後のモダンイエローの普及にも貢献している。トウィードの影響力の大きさは、後々の子孫たちの大活躍で証明されている。


リチャード・エドワーズ氏は、トウィードを中心とした近代ショー・ラブラドールの発展を以下のように分類している。
● トウィード以前のブラックライン → トウィード → サンディランズ・マーク、フォーリータワー・メリーブルック・ブラックストーマーを経由したヘザーリッジ、クックリッジの発展形で、バリーダフ(BALLYDUFF)を中継する基本的にブラックのライン。
●i)トウィード以前のポップルトン(Poppleton)系統が入っていないイエロー。
 ii)トウィード以前のポップルトン系統のイエロー → トウィード → 基本的にイエローのラインで
、サンディランズ・チャーリーボーイ、サンディランズ・タニア、サンディランズ・ダンサーを経由し、 モダンイエローに発展する。
●トウィード → サンディランズ・タンディ、サンディランズ・トゥルース、サンディランズ・ターマックを経由したブラック&イエローのライン。上記ふたつのラインとも交わる。

トウィードとホーリーバンク・ビューティ(Hollybank Beauty)の2度の交配は、ショー・ラブラドールに極めて重要な意味を持ち、結果としてキースレイ(Keithray)犬舍がHeathredge-Cookridgeラインを大きく発展させた。彼らの子供たちにはSh Ch. Hollybunch of Keithray, Sh Ch. Hollybeaut of Keithray, Sh Ch. Tanya of Keithray, Ch. Ballyduff Hollybranch of Keithrayがいた。

ホーリーブランチはモダン・バリーダフの基礎となる。バリーダフは戦後最も成功したケンネルのひとつとなり、Ch. Ballyduff Seaman, Ch. Ballyduff Marketeer, Ch. Squire of Ballyduff, Ballyduff Spruceといったブラックの牡たちは、以降のショー・ラブラドールに極めて大きな影響を与えた。アッカーソン博士夫妻のバリーダフはトライアルとショーの両面で、いわゆる“デュアル・パーパス”として名声を得ていて、Rowenaは間違いなくトップクラスだった。ホーリブランチは、非常にハイレベルなクラフトとラブラドール・レトリバー・クラブのショーにおいて、約20年間に渡りコンスタントに勝ち続けたモダン・バリーダフを創出した。(アッカーソン博士は亡くなり、夫人がミセス・ドッキングとなり犬舍を継承した)

ホーリーブランチとCookridge Negraの交配によりCh. Ballyduff Seamanが生まれる。シーマンはトウィードを2ライン、Ch. Cookridge Otterを3ライン有した最高のクオリティで、僅か13ヶ月でチャンピオンを完成している。シーマンは米国へ輸出される前にElectron of Ardmarga (Tandy/Tweed/Baron)との間に、Ch. Ballyduff Marinaを含む有名な子孫を残した。マリーナは充分なバリーダフのケンネルタイプを有していたが、頭部と骨量は重量感が乏しかった。幸運にも重量感があり、補完が出来るタイプのマーク(Ch. Sandylands Mark)がいた。そして彼らからCh. Ballyduff MarketeerとMarshallを生まれる。マーケティアはスタッドとして後に続くトップケンネルに大きな影響を残している。

ティムスプリングのメィキャン(Macan)夫人は、シーマンを英国に買い戻した。長期間の検疫も無事の終えたシーマンは、ハイクオリティで中量級のブラックCh. Timspring Siriusの父親となる。ティムスプリングはタン/シャドウの娘のSandylands TarnaとTimspring Landyke Venusを基礎としていた。初期のウイナーたちは、トウィード/ポップルトンを背景とするCh. Timspring Jubilant, Ch. Timspring Little TucとCh. Timspring Maceといったイエローが主流だった。その後ブラックでCh. Charway Ballywillwillを父親とするハイクオリティCh. Timspring Cleverlyがいる。
トウィードとイエローの母親の間にCh. Candlemas Rookwood Silver Moonlightがいた。ムーンライトもたくさんのトップウイナーを残している。

トウィードはさらにCh. Reanacre Mallardhum Thunderの父親となっている。サンダーは優性遺伝を引き継いだスタッドとして、多くのチャンピオンを生み出している。Ch. Reanacre Twister, Ch. Reanacre Tracer, Ch. Poolstead Powder Puff, Ch. Poolstead Personality of Lawnwood, Ch. Lowna Suffolk Gem。そんななかでも、特にマークの父親として記憶に留められている。サンダーは、その母親サイドからポップルトンを色濃く受け継いでいる。

トウィードがショー・ラブラドールに与えた影響は、Ch. Ingleston Benと同程度に大きいと言われている。実際にトウィードの血統を受け継いでいないトップ・ショーラブラドールを探すことは難しく、血統を遡ると通常何ダースものトウィードが存在する。バリーダフを経由する場合を除くと、2頭の牡たち、タンディとマークを通してトウィードに遡ることが圧倒的に多い。
トウィードは、いわゆる“クラシック”タイプのラブラドール。GoogleやYahooでイメージ検索して是非写真をみてほしい。以前のサンディランズのホームページには、トウィードのカラー写真が載っていた。


タン/
シャドー・メイティング
サンディランズ・タン(Aust.Ch. Sandylands Tan)× サンディランズ・シャドー(Sandylands Shadow)の2回の交配は、“ラブラドール史上最高”の組み合わせと言われている。“サンディランズ・タン”(後にオーストラリア・チャンピオン。yellow '59)は“トウィード”(Ch. Sandylands Tweed of Blaircourt)と戦前からの“J”(名前がJで始まる)サンディランズのブラックラインを継承する“サンディランズ・アナバル”(black '57)との間に生まれた。
“サンディランズ・シャドー”(black '59)は、Sh.Ch.“サム・オブ・ブレアコート”(black '57)と“ディアント・プライド(yellow ’57, Ch. Poppleton Lieutenant X Ch. Diant Juliet)の組み合わせ。サムは若くしてアメリカに送られアメリカで歴史的な名犬となるが、一胎だけ英国に子孫を残していた。相手はディアント/ポップルトンのイエローで、全くのアウトクロスだった。故ブラッドレー女史は全ての仔犬たち(8頭)を買い取った。同胎にSh.Ch.Sandylands Sam, Ch.Sandylands Showman of Landrowがいる。
血統的には、ブレアコートが1/2、ディアント/ポップルトンが1/4、サンディランズが1/4の構成で、戦後の英国の名犬たちをすべからく網羅している超良血統だった。

Ch. Sandylands Tandyは、甥のCh. Sandylands Markと共に現代のショー・ラブラドールで、最も重要なスタッドとなる。マークの母親のCh. Sandylands Truthもタン/シャドウ・メイティングから生まれている。他のタン/シャドウにSh Ch. Sandylands Tanna, Ch. Threepears Sandylands Tania, ティムスプリングの基礎となったSandylands Tarna, Trewinnard Sandylands Tanita, ロスリン−ウイリアムス夫人のスタッドとして活躍したReanacre Sandylands Tarmac そしてCandlemas Sandylands Timberがいた。


“サンディランズ・タンディ” CH.SANDYLANDS TANDY

タン/シャドーの2度目の出産でタンディ(yellow '61)が生まれた。タンディはサンディランズ最初のイエローのスタッドとなり10年近く活躍し、16頭の英国チャンピオンの父親となった。
Ch. Kimvalley Cripson, Ch. Cornlands Kimvalley Crofterの兄弟、Ch. Timspring Little Tuc, Sh Ch. Katrinka of Keithray, Ch. Novacroft Jaycourt Truly Fairそして素晴らしい牝Sh Ch. Glenarem Cascadeなど。
タンディは、特に60年代後半から人気になったイエローの普及に大きく貢献した。甥のマークの様に子孫にはっきりした印象を残すタイプではなかったが、その良血統を確実に子孫に伝えた。タンディのタイプは“ビッグフレーム”(大型で骨格のしっかりした)タイプ。タンディと、トウィードの娘や孫たちとの交配によって、その良血統が受け継がれた。そして最も重要なのは、後にサンディランズ・マークと、タンディの娘たちや孫たちとの数多くのラインブリードで、サンディランズの血統が継承され、拡大していった事である。

ヘップウォース夫人はプールステッド(Poolstead)をセットアップするにあたり、タンディとその息子たちを有効に使った。プールステッドの基礎となった牝たち、Ch. Poolstead Kinley WillowとBraeduke Julia of Poolsteadはポップルトン・ベースだったが、タンディもポップルトンを1ライン有していて、そのラインブリードの大成功を証明している。プールステッドは、タンディの後には同じくタン/シャドウを継承するマーク、さらにターマックを使っている。
その他のタンディの子孫は、Sh Ch. Colinwood Fern, Sh Ch. Roydwood Royal Tara, Irish&Sh Ch. Brentchase Hickory, Sh Ch, Sandylands Waghorn Honestyなど。
アードマーガ(Ardmargha)のクレイトン夫妻はタン/シャドウ・ラインを発展させた。Ch. Kimbo of Ardmargha, Ch. Kilree of Ardmarghaは、共にタンディとトルースの孫で、その他のラインはポップルトン色が濃い。タンディの娘Electron of ArdmarghaはCh. Ballyduff Marinaの母親になる。後にKilreeとタンディの交配により、有名なCh. Faith of Ardmarghaを作出する。Faithの姉妹Hope of Ardmarghaは、重要なスタッドとなったSh Ch. Ardmargha Mad Hatter(マークが父親)とSh Ch. Ardmargha So Happy(ストームアローンが父親)の母親である。その他にはSh Ch. Ardmargha Sandylands GiselleとSh Ch. Ardmargha Sandylands Mirthを作出している。

タンディのブラックの有名な息子Ch. Follytower Merrybrook Black Stormerは、その輝かしい賞歴と同等に、スタッドとしても大成功を収めた。牡のチャンピオンは、男性的で存在感のあるSh Ch. Sandylands Stormalongを含め、Sh Ch. Thors Lighting Boy, Ch. Lawnwoods Hot Chocolate, Sh Ch. Sorn Sandpiper of Follytower, Sh Ch. Charway Blackthorn of Follytowerを残した。トップクオリティの牝たちにはSh Ch. Sandylands Sonnet of Konoboly, Sh Ch. Bradking Black Charmがいる。
ブラックストーマーの登場により、フォーリータワーはハイクラス・ラブラドールケンネルとして定着する。通常はブラックで、常に美しいネックラインを持つ独特のタイプを形成する。


“サンディランズ・マーク” CH. SANDYLANDS MARK
そしてサンディランズ・マーク(black ’65)が登場する。母親はタン/シャドー・メイティングの最初の出産で生まれた”トゥルース” (Ch. Sandylands Truth, black '60)。クラフトとラブラドール・レトリバー・クラブのCCウイナーで、当時最高のショー・ラブラドール。マークの出産以外にも4胎の子孫たちを残していて、メスとしては珍しく世界中の数多くの血統書にその名前を残している。
父親の”サンダー”(Ch. Reanacre Mallardhurn Thunder:black ’60)は64年のクラフトCCウイナーで、“トウィード” (Ch. Sandylands Tweed of Blaircourt)×パット(Mallardhurn Pat)の組み合わせ。トゥイードから引き継いだブレアコートと、ポップルトンをベースとした東アングリア・オールドイエローのミックスだった。
トゥルースも類似の系統で、さらに伝統的なサンディランズも継承していた。つまりマークの血統は、ブレアコート1/2、ポップルトン/東アングリア・イエロー3/8、サンディランズ1/8である。ルーラー、トウィード、サムと3頭のブレアコートの名犬たちの血統を受け継ぎ、父親のサンダーから大きな頭部と豊かな骨量、コンパクトなタイプを受け継いだ。
マークは、自らのタイプを子孫に伝える優秀なスタッドとして10年以上活躍し、史上最多29頭の英国チャンピオンの父親となった。チャンピオン以外にも、後のラブラドールに影響を与えた名犬たちを輩出している。牡の大きな頭部や骨量など、マークがショー系統のラブラドールに与えた影響は絶大だった。もしマークのタイプが違っていたら、ショー・ラブラドールのタイプも違っていただろうと言われるぐらいマークの存在は大きい。

スタッドとしてその極めて優秀な能力が証明されると、多くのブリーダーがマークを使った。マークのキャリアは、その初期における完璧な直子Sh Ch. Strinesdale Showmanで更に増幅された。
チャンピオンとなった数多くの息子たちも、ラブラドールに大きな影響を与えている。Sh Ch. Sandylands My LadはSh Ch. Poolstead Problem, Sh Ch. Strinesdale Bianca, Sh Ch. Sandylands Strinesdale O’Mallyの父親となり、Sh Ch. Ardmargha Mad HatterはSh Ch. Bradking CassidyとSh Ch. Croftspa Hazelnut Foxrush (当時、最多のCCウイナーで、現在でも牝の最多CCを獲得している)の父親。 Sh Ch. Sandylands My RainbeauはSh Ch. Ransom of Sandylands, Sh Ch. Sandylands Rosy, Sh Ch, Sandylands Rumbabaを、そしてCh. Keysun Teko of BlondellaはCh. Keysun Krispin of Blondella, Sh Ch. Newinn Kestrelを残している。その他のマークの息子であるCh. Sandylands Newinn Columbusもスタッドとして多用された。

マークは、数多くの牝のチャンピオンも残している。Ch. Sandylands Mercy, Ch. Poolstead Pin-Up of Fabracken, Sh Ch. Nokeener May Blossom of Lasgram, Sh Ch. Sandylands Midnight Magic, Ch. Mansergh Antonia, Sh Ch. Kimvalley Pickewitchなど。

マークの娘のオーナーたちの問題は、どこに適したスタッドが居るだろうというものだった。タンディの時代は終わっていたので、その息子たちがその役割を果たした。特にフォーリータワー・メリーブルック・ブラックストーマーが使われた。ブラックストーマーの血統はマークと近いが、同時に新鮮な血統も有していた。クプロス(Kupros)、チャーウェイ(Charway)を始めとする、多くのケンネルがこのルートをたどる。

ブラッドキング・ケンネルはSandylands Carona (Charlie Boy/Garry)からスタートした。Caronaとマークの交配で生まれた、ラブラドールらしい重量感のあるSh Ch. Bradlking Bonny My Girlは、ブラックストーマーに適していた。娘のSh Ch. Bradking Black Charmは、Sh Ch. Bradking CassidyとSh Ch. Bradking Cassandra (共にSh Ch. Ardmargha Mad Matterが父親)の母親となる。Bradkingは後にCh. Kupros Master Marinerとの交配によりSh Ch. Bradking Molly MoとSh Ch. Bradking Music Maker of Kingstreamという2頭のブラックのショーチャンピオンを作出する。

ヒューイット夫人のNewinnも良く似たラインを発展させた。基礎となった牝は、Sandylands Charlie Boyの姉妹であるNewinn Sandylands Catrinaで、全てのNewinnのタイトル・ホルダーたちはCatrinaに遡る。Sh Ch. Newinn Kestrelは影響力のある多くの血統に名前を残していて、孫のイエローSh Ch. Newinn Oasisはハイクオリティの牝だった。その他のニューウィン作出犬は、マークの直子Ch. Sandylands Newinn Columbus, Sh Ch. Newinn Harmony of Peradonがいる。さらにSh Ch. Keysun Rhapsody of Newinn、多数のCCを獲得したSh Ch. Beltarn Diuma of Newinnを有していた。

 

サンディランズ・イエロー
サンディランズ・マークがその絶頂期にあったが、マーク以外の選択肢の本流もサンディランズに存在した。イエローのSh Ch. Sandylands GarryとSandylands Charlie Boyの2頭の牡は、血統はマークと似ていたが、タイプは全く違っていた。Garryの母親はマークの姉妹のMemoryだが明らかに違う。 Charlie Boyの母親は、Sh Ch. Katrinka of Keithray(Tandy)だが、そのタイプは父親のCliveruth Harvesterから受け継いでいた。

マークとブラックストーマー、特にバリーダフを併せて使ったケンネルは、Garry/Charlie Boyのラインを選択しなかった。イエロー指向のケンネルは、クリーンなボディライン、しっかりした頭部、そして薄いイエロー・クリーム色をしたゲーリー/チャリー・ボーイのコンビネーションを選んだ。

ブラッドレー夫人自身もTrewinnard Sandylands Taniaとその娘のSh Ch. Sandylands Dancerと、ゲーリー/チャリー・ボーイの交配により大きな成果をあげた。そのブリーディングの初期にSh.Ch. Sandylands Blazeがいて、その直子はSh.Ch. Sandylands Busy Liz。ケニングレー氏のロングレー (Longley)ケンネルとパルマー夫妻のジェインコート (Jayncourt) もこのラインを継承した。
Sh Ch. Sandylands Clarence of Rossbankと、その兄弟のSandylands Charleston (Charlie Boy ex Dancer) も重要なスタッドだった。ClarenceとBalrion Royal Princessの間に、有名なSh Ch. Balrion King Frostを含む、4頭のチャンピオンが生まれている。ガードナー夫人はCharlestonを使い、同胎でSh.Ch. Novacroft ChorusとSh.Ch. Novacroft Charlesの2頭のショーチャンピオンを作出した。

チャリー・ボーイの影響力は幅広く、直子にはSh.Ch. Heatherbourne Silver Czar, Sh.Ch. Stajantors Honest John, Ch. Croftspa Charlotte of Foxrushがいる。チャリー・ボーイの特筆すべきは、現代(90年代初期)でもそのタイプが明確に認識出来ることである。
ゲーリーもそのタイプを確立するが、チャーリー・ボーイほど面影は残していない。最も有名な子孫は、素晴らしいショーガールだったCh. Sandylands Geannieで、そのカラー、力強さとすっきりしたラインは、ゲーリーの印象を強く残していた。他のトップウイナーは、Geannieの姉妹のSh.Ch. Ardmargha Sandylands Giselle, Sh.Ch. Sandylands Girl Friday, Ch. Oakhouse Glenarem Classicがいる。

さらにこの時代のサンディランズには、Sh Ch. Sandylands Stormalongがいた。大型のブラックで、その圧倒的な存在感と雰囲気で全てのブリーダーを魅了した。ロスリン−ウイリアムス女史は、Ch. Mansergh Ooh-La-La(マーク、ターマック、Ch. Damson of Mansergh、それそれ2ラインが3世代に入っている)をストームアローンと交配し、Ch. Mansergh Ships Belle, Sh Ch. Mansergh Sailors Bewareを作出し、ヘップウォース夫人は、Poolstead PreludeからSh Ch. Poolstead Preface (Sh Ch. Poolstead Preferentialの母親)を作出している。ブラッドレー夫人は、 ストームアローンとSandylands Busy LizからSh.Ch. Sandylands Steptoeを作出した。

1960年から70年の後期までは、サンディランズのスタッドドッグの独占状態だった。サンディランズの牡は、ShCh. Sandylands Bob, Ch. Sandylands Beau, Ch. Sandylands Justice, Sh.Ch. Sandylands Samを通してCh. Sandylands Jerryに遡るが、Ch. Sandylands Tweed of Blaircourtがサンディランズに来たことにより飛躍的に発展した。 トウィード、タンディ、マーク、マイラッド、ゲーリー、チャーリー・ボーイ、ブレイズ、ストームアローンがいて、“マイナー”な存在として、コロンバス、ジェネラル、タリーホー、チャールストン、マイ・レインビューもいた。
当然ながら、サンディランズ以外のスタッドもいた訳だが、ショーでも繁殖でもサンディランズが主流だった。他の成功したスタッドも、いや応なくサンディランズの血統を背景としていた。ショー・シーンでは、バリーダフとコーンランズ、少し遅れてプールステッドだけが、サンディランズのシリアスな競合相手だった。

独自の血統を確立していたマンサーガさえも、サンディランズのスタッドを使い、犬質を向上させた。Ch. Bumblikite of Mansergh (Ch. Midnight of Mansergh ex ヘザーレッジベースの牝)は、Reanacre Sandylands Tarmacとの交配でCh. Damson of Manserghが生まれ、Damsonとマークの交配でCh. Mansergh Antoniaが生まれた。Ch. Groucho of Manserghもマークの直子。Antoniaの娘のCh. Mansergh Ooh-La-Laとストームアローンの交配で2頭のチャンピオン、Ch. Mansergh Ships-BelleとCh. Mansergh Sailors Bewareが生まれる。最後にShip-BelleとMansergh Marconi (Sh Ch. Martin of Mardasの娘) の間に、“最高”のCh. Mansergh Maydayが生まれる。Maydayは、ラブラドール・レトリバー・クラブの“ルビー”チャンピオンシップ・ショーでBISを獲得する。マンサーガは、本流の血統を自らの犬舍で維持しながら、サンディランズのスタッドたちを定期的に使っていた。

ブラッドレー夫人が達成した骨格のしっかりした大型のオスたちは、ショー・ラブラドールのほとんどのラインからオファーを受けていた。
PoolsteadはManserghとは対照的に、同じ系統のスタッドを、異なるバックグラウンドの牝たちと交配し、成功を収めている。プールステッドのラブラドールは(色の違いだけではなく)明確なタイプを有している。60年代の始めにヘップウォース夫人は、まずトウィードの直子たち、Ch. Reanacre Mallardhurn ThunderとCh. Hollybunch of Keithrayを、その後Reanacre Sandylands TarmacとCh. Sandylands Tandyを使った。さらにタンディの直子たちSh Ch. Cornlands Kimvalley Crofter, Rackabee Tobinを使い、そのオプションが尽きると、タンディのラインブリードのElveledge Turmericに移り、ついにマークとその直子Sh.Ch, Sandylands My Ladへ行き着くが、スタッドは依然としてタン/シャドウを継承している。さらにストームアローンも使われている。こうしてサンディランズの血統によって、ケンネルタイプを進展させたプールステッドは、ホームブレッドのSh.Ch. Poolstead Problemと、その直子Sh..Ch. Poolstead Preferentialに移行することによって、ケンネルタイプを確立する。コンパクトで調和が取れた、正しい歩様からプールステッドと明らかに認識できるファミリーを形成した。その後のスタッドとしてSh.Ch. Receiver of CranspireとCh. Charway Ballywillwillが使われる。プールステッドの血統から始めたケンネルもあり、多くのプールステッドの牝たちは、他のケンネルのトップウイナーになっている。

 

70年代、80年代の英国のケンネル
70年代、80年代に始まったほとんどのケンネルはサンディランズの血統を継承している。特に4頭の牡、マーク、タンディ、チャーリー・ボーイそしてゲーリー。

LAWNWOODS(ローンウッド)
ローンウッド・ケンネルは、ポップルトン3/4、トウィード1/4で構成されたイエローの牝、Spinneyhill Lilac of Lawnwoodから始まった。LilacはCh. Gay Piccolo of Lawnwoods, Ch. Lawnwoods Fame and Fortuneの母親となる。その後、ローンウッドから牝のチャンピオンCh. Poolstead Personality Lownwoods、さらに男性的なCh. Lawnwoods Hot Chocolate、女の子らしいなかに重量感と存在感のあるCh. Lawnwoods Flight O’Fancyが作出される。
ローンウッドは多くのモダンケンネルに、基礎となる犬たちを供給している。ホットチョコレートの娘、Warringahs Hot Pantsは、大成功したクード夫人のWarringah(ワリンガ)の基礎となった。ホットパンツと、Ch. Timspring Sirius直子、Secret Song of Lawnwoodsとの交配で、Sh Ch. Warringah Hot FavouriteとCh. Warringah Hot Propertyが誕生する。シークレットソングは、デュアル・パーパスのチャンピオンCh. Elowood Soul Singer, Ch. Trenew Music Manと、その姉妹でCh. Trenew BringadierとSh Ch. Trenew Briar Roseの母親となったTrenew Minuetの父親となる。
フォーリータワー・メアリー・ブラックストーマーの直子であるLawnwoods FandangoとLawnwoods Starglow(マークの娘)の交配で、素晴らしいイエローCh. Lawnwoods Midnight Follyが生まれ、ミッドナイトフォーリーは、Ch. Warringah Fair and Squareの父親となる。フェアアンドスクエアは、Ch. Warringah Fore and Square, Sh Ch. Pineview Wagtail, Ch. Waterbrook Bugsy Maloneと云った独自のファミリーを形成する。ファンダンゴは、更にSh Ch. Crawcrook Cavalierの父親となっている。

HEATHERBOURNE(ヘザーボウン)
ヘザーボウン・ケンネルも、ローンウッドのCh. Heatherbourne Lawnwoods Laughing Cavalierを基礎としている。さらにSh Ch. Heatherbourne Silver Czarの母親となったイエローのSh Ch. Heatherbourne Harefield Silver Pennyを幸運にも買うことが出来た。シルバーペニイは、ショーで大活躍したCh. Heatherbourne Silver Czarの母親。
1970年代、ヘザーボーンはSh Ch. Heatherbourne Top Tune, Sh Ch. Heatherbourne Statesman, Sh Ch. Heatherbourne Fishermanと連続でトップウィナーを生み出している。ラフィングキャバリアとクザーは、他犬舍のチャンピオンも作出している。
後にSh Ch. Copperhill Lyric of Heatherbourne, Sh Ch. Heatherbourne Court Jesterがいた。

BALRION(バルライオン)
1970年代はじめにクルック夫妻は、共にクックリッジとトウィードの血統を有するHindlehurst Cuban PrinceとTayfield Tapestryの交配により、ブラックの牝Balrion Royale Princessを作出した。ローヤルプリンセスは、Sh Ch. Sandylands Clarence of Rossbankと交配する。血統的にはかなりさかのぼらない限り一致しない様に見えるが、この交配が戦後のショー・ラブラドールに於ける最高級の成果となり、4頭のチャンピオンが誕生する。Sh Ch. Barlion King Frost, Sh Ch. Balrion Wicked Lady, Sh Ch. Balrion Black Ice, Sh Ch. Balrion Royale Mischief of Rodarbal。大袈裟ではなく、リングでのBalrion King Frostは“スーパードッグ”だった。キングフロストは、スタッドとしても活躍し、Sh Ch. Balrion King’s RansomとSh..Ch. Heatherbourne Fishermanの2頭の直子が特に知られている。バルリオンは、均整のとれた頭部と美しいコートを特徴としている。最近の重量感のあるショー・ラブラドールも、このファミリーの持つ表情には敵わないだろう。

BALLYDUFF(バリーダフ)
ドッキング夫人のバリーダフは、特にクラフトとラブラドール・レトリバー・クラブのショーで大成功を収めている。疑い様の無いそのタイプとクオリティは、若いブリーダーが彼らの土台としたいと考えても不思議ではなかった。バリーダフの影響は、チャーウェイ、クプロス、マーダス、ファブラッケンで観る事が出来る。
MARDAS(マーダス)
ヘッパー夫妻のマーダスはCh. Ballyduff Marketeerを経由したバリーダフの影響が非常に強い。Sh Ch. Martin of Mardasは、マルチCCウイナーのCh. Fabracken Comedy Star(チョコレートのチャンピオンSh Ch. Bradking Bridgette of Davricardはコメディスター直子)の父親である。他のマーダス・ブラックも、バリーダフのタイプを継承している。特にSh Ch. Madras SamooriとSh Ch. Mardas Master Marinerにその印象が強い。
CHARWAY(チャーウェイ)
初期のチャーウェイ・ブラックは、Sh Ch. Charway Nightcap。その後、マーケティアの娘Roseacre Hollyberry of Charwayを購入し、Ch. Timspring Little Tucとの交配で、Ch. Charway Little Sianが生まれる。リトルシアンの血統は、ベストブラックのブレアコート、バリーダフ、サンディランズのパワフルなミックスで、LandykeとDiantを通してポップルトン・イエローも有していた。リトルシアンの孫にあたるCh. Charway Ballywillwillの父親は、Ch. Timspring Siriusの直子Ballyduff Spruce。バリーウィルウィルはCh. Fabracken Dancing Shadow, Ch. Warringahs Harlech, Ch. Lindall Mastercraftなど、数多くのウイナー直子を残している。
マスタークラフトのラインは、直子で1980年代後半にトップサイヤーとして活躍したCh. Kupros Master Marinerを経由して、その素晴らしさが証明されている。
ミンチェラ夫人のCharway Seashell (Ch. Fabracken Comedy Star ex. Charway Simona)は、フィールドトライアル・ウイナーであるManymills Drake C.D. ex.との交配により、デュアル・パーパスのチャンピオンCh. Abbystead Herons Courtを作出した。
KUPROS(クプロス)
クプロス・ケンネルは、Ch. Ballyduff Marketeerの同胎姉妹であるBallyduff Morellaからスタートし、そのクックリッジとブレアコートのブラックを継続している。このラインを継承する一部の犬たちは、ドミナント・ブラック(ブラックの優性遺伝子)を有している。
BLONDELLA(ブロンデラ)
ブロンデラ(Blondella)ケンネルは、ブラックのチャンピオンCh. Keysun Teko of Blondella(Mark直子)と、その直子であるCh. Keysun Krispin of Blondellaでそのタイプを確立し成功している。その後、バリーウィルウィルの直子で、ラブラドールらしさに溢れるSh Ch. Blondella Ballerinaを作出している。

SH CH. RECEIVER OF CRANSPIRE(レシーバー・オブ・クランスパイアー)
1980年代後半に最も活躍したイエローは、Sh Ch. Receiver of Cranspireだろう。ブラック系のラインは、バリーダフを主幹として体系化されていたが、レシーバーの血統は様々なラインがミックスされている。そのタイプは、チャーリーボーイ・タイプだった。レシーバーは優秀なスタッドとして、自らのタイプとクリーンで見栄えのする体型を子孫に引き継いでいる。チャーリー・ボーイと同様に、イエロー指向のケンネルはレシーバーを使った。直子はSh Ch. Poolstead Pocket Picker, Sh Ch. Poolstead Pocket Money, Ch. Capenny Chevalier, Sh Ch. Cambremer Countdown。孫としてSh Ch. Tibblestone The Choristerがいる。

CAMBREMER(カンブレマー)
80年代に最も活躍したケンネルは、間違いなくブラバン夫妻のカンブレマーだろう。彼らは幸運にも素晴らしいイエロー、Sh Ch. Glenarem Skyrocketを購入してスタートし、そこからトップケンネルを作り上げた。スカイロケットの娘である大型のイエロー、Sh Ch. Cambremer St. Clairは、Ch. Fabracken Comedy Starとの交配で、戦後最も成功した牝の1頭となるCambremer Montclairを産む。モントクレアーは、Sh Ch. Cambremer Madonna, Sh Ch. Cambremer All That Jazz, Sh Ch. Cambremer Jazz Singerの3頭のチャンピオンを残した。特に2頭のブラックの牝、マドンナとオールザットジャズがそのクオリティの高さとタイプで特筆される。

以上は、あくまでも1980年代までの経過で、90年代にはCAPENNYが躍進し、特にROCHEBYが大ブレイクしている。スタッドとしては、晩年のCH.KUPROS MASTER MARINER('83 black)が、かつての名犬たち(マーク、タンディ、ブラックストーマー)と同等のインパクトを残している。2000年代に入ると、保守的と思われがちな一流ブリーダーたちは、米国、フランス、北欧などのラブラドール(すべからく英国の良血統を引き継いでいる)を取り入れ、英国のラブラドールもインターナショナルになってくる。90年代以降も資料があれば、書き足していきたいと思っている。

90年代、2000年代だろうが、海外のラブラドールが戻ってこようが、これまで書いてきた事の発展形であることに変わりはない。

次はチョコレート・ラブラドールを加える予定だが、「予定は未定」と予防線を張っておこうっと・・・。